歩く

今年2023年末に教職から離れることにした。

年末と言っても、毎年12月には6週間以上の長い夏休みになる西オーストラリア州では、12月15日が最終日だ。あと2週間。

もう今年にはいってからすでに決心していたが、3ヶ月前にはようやく外国語科主任に伝えた。

日本にいる友だちからは「お疲れ様でした」という言葉をもらい、オーストラリアまたは各外国の友だちや同僚からは「おめでとう!」と言われる。つまり日本語だと「それまでしてきた仕事をねぎらう言葉」、そして英語やドイツ語だと「これからの新しい人生が始まることへの祝福」だ。これは文化の違いなのだろうが、興味深い。

わたしの教師友だちはそのほとんどが教育熱心なひとたちで、「ねえ、退職したら何をするの?」とよく心配そうに訊く。わたしは子どもがいないので、孫の世話という退職者特有のボランティアもなく、自分のために使える時間がありあまるほどあるからだ。些細なことから壮大な計画まで、やりたいことは沢山ある。それをひとつひとつ楽しんでいければいいなと思う。そのための「残りの時間」だ。

ひとつだけ決心していること。

それは「規則正しい生活」だ。わたしは生来ナマケモノなので、ダラダラと何もせずに1日が終わってしまうことが多い。特に仕事が忙しいときの週末などは、その最たるものだ。そして、退職したらその「週末だったダラダラの日が毎日になってしまうかもしれない」と思うと、気が気ではない。だから、わたしと同じぐらい忙しいひとが、実はその忙しさの間をぬって筋トレでジムに通ったり陶器やジュエリーのワークショップに参加したりして楽しんでいるというのを聞いて…自分を顧みる。

教えることは好きだけれど、結局わたしは仕事人間なだけではないか、と。そして、その忙しい仕事はただ時間を埋めて収入を得るという基本的な需要を満たしてきただけではないか、と。

「退職したらこうしたい、ああしたい」と考えることは簡単だし楽しい。ただし、それよりは「今」何かを始めたい。何か今できること…は、何も準備せずにとりあえず始められることだ。そうだ、まず朝起きてから顔も洗わずに帽子とサングラスをつけ、iPodを持ち、スニーカーを履き、外に出てウォーキングに行こう。歩く習慣は長かったのだが、なぜかいつか自然消滅してしまった。

ところがよく考えたら最近では6時には目が覚めてしまう。若い頃は12時までゴロゴロしていることができたのに、今では目覚ましもセットせずに大体6時ごろには目が覚めるのだ。それならば朝のウォーキングに最適ではないか。

年齢のせいにしても始まらないので、とりあえず明日から30分。

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