日本滞在はあと2週間。片づけはまだ終わっていない。特に写真と手紙。手紙は懐かしさで1度読み直したら捨ててもいいんだけど、何しろ量が多い。写真もデジタル化したいが何しろ量が多い。決心して捨ててしまうのは簡単だが、自分のために過去のオサライはしてみたい。未来に活かしたい。結局ほとんど全部オーストラリアに送ってからゆっくりやることになると思う。でも送るだけで目が飛び出る。高い。
片づけでは、高校生のときのノートまで出てきた。ずいぶんキレイな字を書いていたんだなあ。ちょっとビックリ。英語なんか今の字体が想像できないほどだ。
もちろんそのまま廃棄処分にするが、写真も書類も見ているだけでタイムマシンに乗った気分になる。昔の自分がそこにいる。
今の英語はこんな感じだ。
こういうふうに手首をまわして書くのは、わたしが左利きだから。
父の古ぼけた大学ノートまで出てきて、若い頃の父の感傷的でしかも少々無頼な文章に苦笑している。亡き父にもわたしの知らないとても若い頃があったのだと今更ながら思う。
反対にわたしの卒論なんぞも出てきて「うわーなんて漢字満載の硬い文章なんだ」とこれまた苦笑。フランス現代演劇の巨匠イヨネスコ論だった。
それどころか、母方祖父がまだ若いころの祖母への「駆け落ちのお誘い?」手紙が出てきた。もちろん古風豊かな筆書き。ビックリ。
昭和2年の日付になっている。伯母も母も生まれる前に一体何があったんだろう。なぜ「すきを見て相談しに行け」などと書いてあるのだろう。気になるけど、100年前の手紙ではもう皆鬼籍に入ってしまっていて誰にも訊けない。
昭和初期の家族のミステリー。